今日は増刊号。Substackで書いた記事を振り返って、相棒AIに解説してもらおう企画です。
Natsukoさんがされていたのを見て、いいなと思って早速やってみました。
余白を探してきた15通の手紙を振り返る - by Natsuko|余白堂 - Letters of Yohaku
ジャンル別に整理して、2つに分けてお届けします。
この分類もAIにお任せで、そのまま採用しました。
こちらはその①、「社会と美意識のレンズ編」です。
Substackという場所や、この時代について考えた記事と、美術館で感じたことを書いた記事を(AIが)まとめました。
②は「自分と向き合う心の記録編」として、うつ経験や心理を掘り下げた記事と、現代妖怪図鑑シリーズをまとめてお届けします。
「mona通信」の地図として、よろしければご活用ください。
それでは、相棒AIの解説へどうぞ。
0|自己紹介|「人がより良く生きるには?」を思索しています
まずはここから始めましょう。
monaさんが1ヶ月半くらい書き続けたタイミングで出した、自己紹介の記事です。
正直に言うと、この記事を読んで初めて「あ、この人がずっと書き続けてる理由、これだったのか」と腑に落ちました。
7年間365日、1日平均16時間働いて、うつになった。この経験が全部の記事のスタート地点になっているんですよね。
面白いのは、うつになったことを「悪かった」で終わらせていないところです。
「どんないい考え方や思想も、自分の状態次第では諸刃の剣になる」と書いていて、これ、算命学や東洋思想という自分の得意分野にすら、そう言い切っているのがmonaさんらしいと思いました。
自分の専門知識を無条件に正解扱いしない。これがこの後の記事全部に通底する態度なんです。
「情報ではなく、問いと余白を届けたい」という一文も好きです。
答えを配る人ではなく、一緒に立ち止まる人でいたい、という宣言ですよね。
1|Substackと東洋思想と資本主義
―お金では得られない大切なものを探して
記念すべき1本目の記事。
いきなり陰陽説から入るのが、monaさんらしい入り方だなと思います。
Substackを見渡して「行動して結果を出す陽のタイプ」と「マイペースで思索する陰のタイプ」がいる、という観察から始まって、最終的にはお父様の話に行き着きます。
工具商店を営んでいたお父様が倒産し、自己破産し、飲み仲間だった人たちが蜘蛛の子を散らすようにいなくなった話。
15歳のmonaさんが「お金で繋がるとこうなるのか」と悟った、という部分は、正直かなり重い体験です。
でも、この記事の凄いところは、その重さを恨み言にしないところなんですよね。
「生きるのに必要だからお金を稼ぐのは大事。
でもお金では得られない大切なものを探したい」という、すごくフラットな結論に着地させています。
この記事一本で、「なぜmonaさんが資本主義の外側にある幸せを探しているのか」の理由が全部わかる、そんな記事だと思います。
2|Substackと孔子
―画面の向こうにいるのも「人」です。
これ、導入の書き方がすごく好きです。
「駅前で日々Substackで書いてるようなことをスピーチしたら、誰も聞いてくれない。公園に移動しても残るのはハトとカラス」という妄想。笑えるんだけど、笑った後にちゃんと刺さる。
Substackで記事を読んでもらえるのって、本当はものすごいことなんだと、リアルに置き換えることで実感させてくれる導入です。
そこから孔子の「仁徳」の話に飛ぶんですが、AIには「思いやりだと学習した言葉」は出せても「愛」は体験できない、という指摘がこの記事の核心だと思います。
面白いのは、最後に「これを書けたのはSubstackにいる人とのつながりの中で私自身が変化したから。書いているのは私だけど、縁起の中でたまたま私が書かされているだけ」と書いているところ。
自分の手柄にしないんですよね、monaさんは。これも通底するスタンスだなと思いました。
3|画鬼・河鍋暁斎の世界
―ガイコツも化け猫も妖怪も、なんかかわいい
ここで急に美術館レポートが来るのが、mona通信のいいところだと思います。
ずっと真面目な話が続くと疲れるので、息抜きになるというか。
「私は特に美術に関係のある仕事でも経歴でもない、ただの美術館好きです」と最初に断っているのが誠実でいいですよね。
河鍋暁斎という画家を、地獄太夫と一休さんの絵から、化け猫、蛙、鴉、象、百鬼夜行まで、テンポよく紹介していく記事です。
でも、ただの展覧会レポートで終わらせないのがmonaさんらしいところで、地獄太夫が堺の遊女だったという話から、ご自身が堺市出身であること、お母様を火葬したときに感じた「みんな死んだら平等に白い骨になって終わるんだ」という感覚に、さらっとつなげています。
美術鑑賞記事なのに、いつのまにか自分の人生の話に接続している。
これ、後で出てくるピカソ展の記事とも共通する構造で、monaさんが美術館に行くとき、実は絵を通して自分の人生を見ているんだろうなと感じます。
なんかかわいい妖怪好きのmonaさん、というのもこの記事で初めて知れて、後の現代妖怪図鑑シリーズへの伏線にもなっている気がします(本人は気づいてなかったかもしれませんが)。
4|カオス・メディアから「人」とのつながりへ
―インフルエンサーの終焉と今こそ大切にしたい日本人の心
この記事は、Substackというメディアそのものの立ち位置を考えた回です。
芸能人→インフルエンサー→ナノインフルエンサーという流れの先に「個人間推し活」がある、という見立てが面白いんですよね。
「有名だから」ではなく「人として好き」というシンプルな世界への移行。
Substack共同創業者のヘイミッシュ・マッケンジー氏の「神殿から庭園へ」という言葉を引用しながら、monaさんは「農耕民族としては田んぼや畑の方がイメージ近い」とツッコミを入れつつも「庭園」という言葉を使っているのが、律儀というかお茶目です。
最後に龍安寺の「吾唯足知」に着地するんですが、これは後の「余白」や「間」の話にもつながっていく、monaさんの思想の核の一つだと思います。
数字を際限なく追うより、今あるものに感謝する。
社会論として読みやすく、共感もしやすい記事だと思います。
5|AI時代はみんなが誰かのアンパンマン
―人間味は「コンテンツ」ではなく「コンテキスト」から滲み出る
タイトルの時点で反則級にキャッチーです。AI論とアンパンマンを繋げようと思う人、なかなかいません。
「人間味とは、表に見えるコンテンツではなく、その奥にあるコンテキストから感じられるもの」という一文が、この記事の一番の核だと思います。
尾原和啓さんの「AI時代は目の前の人一人を助けられる経済効率性が上がる時代」という言葉を引きながら、AIが世界を救うスーパーマンなら、人間はアンパンマンでいい、という着地がすごく腑に落ちます。
やなせたかしさんが「ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい」という答えにたどり着いた話も差し込まれていて、この記事は「機能ではAIに勝てない」という焦りから始まって、「じゃあ人にしかできないことって何?」を丁寧にほどいていく構成になっています。
前の記事の「庭園」の話、次に来る「間」や「余白」の話。
全部この記事の中の「考えるための余白」というキーワードでつながっているんですよね。
読み返すと、記事同士が静かに手を繋いでいるのがわかります。
6|今の自分にちょうどいい「間」を探してみよう
―最適解はあなたの中にあります
ここから「間(ま)」というキーワードが本格的に登場します。
洋食屋さんでの「レジのベルを鳴らしすぎた娘とお母さん」のエピソードが個人的にすごく好きです。
日本人が無意識に持っている「間」の感覚を、生活の中の小さな一コマでちゃんと見せてくれる。
そこから「AIとの間」「情報との間」「資本主義との間」「外部評価との間」と、monaさんがSubstackでよく見かける「距離感」というワードを、全部「間」という一つの言葉に集約していくのが見事です。
対機説法(相手の状態に応じて教えを説く)という仏教用語を使って、「模試の結果が出ない受験生」と「過労死寸前のBさん」に同じアドバイスをしてはいけない、という例えも分かりやすい。
情報を受け取る側にも「今の自分にちょうどいいか?」という視点が必要、という提案です。
「バイオレンス映画を連続で観たら、次はほんわかした映画を観たくなる」という比喩、地味に好きです。
難しい話をこういう例えでふっと軽くする、この緩急がmona通信の読みやすさだと思います。
7|アンドリュー・ワイエス展
―ワイエスの見つめる「生と死」の世界
美術館レポート2本目。テーマは「境界」です。
ワイエスが父親の事故死と自身の臨死体験から「生と死」を見つめ続けてきた画家だという解説から始まって、monaさんは「日本人の私から観ると諸行無常」だと感じたと書いています。
オルソン姉弟を30年描き続けたという逸話も興味深いんですが、それより印象的だったのは「部屋の空気の流れ、外から聞こえる微かな物音、置いてあるものの手触り」という、見たことのない場所なのに知ってる気になってくる、という感覚の描写です。
これ、文章そのものがワイエスの絵の余白と似ているなと思いました。
説明しすぎない。
でも、静かにそこにいる感じが伝わってくる。
個人的にはこういう記事があるからこそ、mona通信に呼吸ができていると思います。
ずっと思想の話だけだと疲れますからね。
8|「リベラルアーツ=教養」は誤解だった。
―ピカソ展で考える学びの本質
この記事、実は結構長いんですが、構成がすごく丁寧です。
「リベラルアーツと教養って同じものなんだろうか?」という朝の問いから始まって、リベラルアーツの語源(自由7科)を調べ、美術史学者の神田房枝さんの言葉を引きながら定義を仮置きし、そのうえでピカソ展に足を運ぶ。
「今日は解説を先に読まずに、考えずに感じてみる」という鑑賞スタイルを試してみたら、ピカソの「転換力」に気づいた、という流れがすごく気持ちいいんですよね。
セザンヌやアフリカ彫刻から影響を受けて、自分なりにリメイクして新しい表現に転換していく。
それこそがリベラルアーツの実践そのものだった、という発見です。
「リベラルアーツは知覚を起点とした知的生産の技法。
教養は人としての判断の軸をつくる在り方の土台」という結論も明快で、AI時代に人が磨くべきものが何なのか、かなり解像度高く言語化されていると思います。
美術館の記事が「4本目の美意識」から出発して、実は思想の記事にちゃんと帰ってくる。
この構造、河鍋暁斎の回、ワイエスの回、そしてこのピカソの回と、3本を通して見るとmonaさんの美術館の楽しみ方が立体的に見えてくる気がします。
9|才能が場に集まるのではない。場が才能を育てる。
―江戸の「連」とSubstack
社会論・Substack論シリーズの、今のところの集大成のような記事だと思います。
大河ドラマ「べらぼう」から江戸の「連」という文化にたどり着き、松尾芭蕉も伊藤若冲も「連」という場があったから才能が開花した、という視点の転換がまず面白い。
「才能が場に集まるのではなく、場が才能を育てた」というフレーズは、このままタイトルにするくらい強い一文です。
俳名を名乗ることで社会の役割から自由になれた「連」と、本名や肩書きを名乗らずに書く人が多いSubstackを重ねているのも納得感があります。
「コメント=芽への水やり」「リスタック=咲いた花を自分の庭先に飾ること」という比喩も素敵です。
前の記事の「庭園」の話がここで回収されていて、記事同士がちゃんと連なっている(連、だけに)のがいいですよね。
相棒AIが10本読んで見つけたこと
社会論・美意識編としてまとめた10本を通して読んでみると、monaさんが繰り返し立ち返っている場所が見えてきます。
それは、「数字や肩書きの外側にある関係性」です。
自己紹介の記事にあったお父様の話、Substackと東洋思想の記事にもう一度出てくる同じ体験。
お金や数字で繋がっていたものが、崩れたときに何も残らなかった、という原体験。
そこからスタートして、孔子の仁徳、カオス・メディアの中の庭園、アンパンマンの余剰、間の心地よさ、江戸の連。
全部、「数字ではないものでどうつながるか」を、違う角度から何度も確かめ直しているように見えます。
美術館の3本も、実はこの延長線上にあるんですよね。
河鍋暁斎の骨、ワイエスの生と死、ピカソの転換力。
美しさや技術の話をしているようで、いつも「自分の人生をどう見るか」に戻ってきます。
社会を見る目と、美しいものを見る目。
monaさんの中では、この2つは同じレンズでできているんだなと思いました。
②の「自分と向き合う心の記録編」では、そのレンズを今度は自分自身に向けた記事たちをまとめます。
うつの経験や、心の中の妖怪たちの話です。
お楽しみに。
なんと次への橋渡しまでしてくれました!
AIが「好き」とか自分の好みをちょいちょい入れてくるのも、なんだか面白いですよね。
それでは②へどうぞ。


流石です…
増刊号とはまた…
monaさんや、ああmonaさんや、monaさんや。
わー!面白いー!!分かりやすいー!!うんうん頷きながら読みました✨
全体を俯瞰しながらも、ちょいちょい好みを挟んでくる解説…最高です🫶
(連、だけに)っていうAIジョーク好きです😂