ウサギとカメの話を思い出してみてください。
この寓話の前提をくつがえしますが、
「ウサギとカメは戦う必要がなかった」
と社会心理学者の加藤諦三先生は言います。
カメは「私はカメですから」と言えばよかったのに、ウサギの基準で自分を測ったことで、劣等感を抱いてしまった……。
これを読んだときに私は、
「私は長い間、カメなのにウサギになろうと頑張ってきたな……」
と思いました。
私は、戦うことをつい最近までやめられませんでした。
子供の頃に選んだ生き方は、大人になってもなかなか変わりません。
気づけば私は、カメなのにウサギになる努力をして、ウサギと戦っていました。
今日は私の体験から、ウサギとカメの話をしたいと思います。
私は長い間、「人生の第一優先順位 成長」という価値観で生きてきました。
子供の頃の生存戦略が、そのまま大人になっても残っていたからです。
幼少期から家が貧乏で、木造長屋住まいでした。
壁が薄いから両隣のテレビの音も聞こえるし、天井の上でイタチとネズミが毎日追いかけっこ(夜中に暴れるから眠れない)。
お風呂もなかったので銭湯通いです。洗濯機の横の空きスペースで、タライをお風呂代わりにして水浴びならぬお湯浴びをする日もありました。
お金もなく家族関係も良くなかったので、仲良く家族旅行に行ってるお金持ち(というか一般家庭)を羨ましく思っていました。
この羨望や嫉妬が「金持ちには負けない!」という、謎の負けず嫌いに転化。
当然塾に行くお金もありませんでしたが、負けず嫌いが原動力になって、成績は優秀な方でした。
貧乏でも、成績が良ければ大人も子供もみんな一目置いてくれました。
友達には貧乏がバレないようにしていましたが、たぶん保護者にはバレてたんだろうなと思います。
人生の早い段階で、私の中で「いい成績を保つのが正解」という考え方ができあがっていったんです。
自学自習派だったので、学校の授業中は漫画を描いてるか本を読んでるか寝てるか……という自由人っぷりを発揮し、先生にとってはものすごく嫌な生徒だったと思います。
でも、これも成績が良ければ放っておいてくれるので、私は脳内の学校攻略本に「成績が良ければオールオッケー!」とフォント50ptくらいで記入していました。
嫌な生徒のようでいて、ポイントは押さえるタイプだったので、先生がやって欲しいことには全力で乗っかりました。
たとえば漢字ドリルや計算ドリルを休み時間に自主的にやって、シールを集めるみたいな取り組みってありませんでしたか?
そういうのは率先して取り組みました。
その方が先生が優しくなるからです。内申点も上がります。
子供のくせに打算まみれです!
先生たちごめんなさい。
順調な学校生活。
……のように見えて、一番の敵は身内にいました。
母です。
母からは少しでも成績が下がると、「私は小学校で90点以下なんか取ったことないわ(※大阪弁)」とボロクソに言われました。
だから、90点未満は私にとっては無価値になりました。
成績が良くてすごいねといくら外で褒められても、母にはそれくらい当然のことで、少しでも順位が下がったら「頭悪いんか」とバカにされました。
これで、「勉強に専念しよう!」とはならないのが私らしいところで、成績を維持すること、好きな本を読むこと、友達と遊ぶこと、部活をすること。
どれも全部やるために、いかに要領良く生きるかを追求し始めました。
これを話すと私を仕事で知ってる人には驚かれるんですが、私は本来、とても鈍臭いタイプです。
幼稚園の頃は食べるのが遅くて、いつも昼休みに一人でお弁当を食べていました。怖い園長がお目付け役で…若干トラウマです。
母の自転車の後ろに乗って幼稚園に向かうのですが、途中で制服のベレー帽を落としたり、ハンカチを落としたり……。
他にも、誰も転ばないような所で転んだり、頻繁に忘れ物をしたり。
かなり注意力散漫な子供でした。
家の中でも母の手伝いをしていると、「ほんまおっそいなぁ」とか「遅いことは牛でもできる」と散々言われました。
牛。。。
つまりウサギとカメでいえば、カメだったんです。
他にも母からミスの度に怒られるので、いろんなことに気をつける子になっていきました。
余談ですが、家の中で典型的ないい子ちゃんだったわけではなく、「ク◯ババァ!」とか言って喧嘩するくらいには悪ガキでした。
やられっぱなしのおとなしい性格ではありません。
さて、カメなりに必死に努力しているうちに、いつしか「鈍臭い子」から「要領の良い子」になっていきました。
正確に言うと、なったわけではありません。
カメが「ウサギに擬態するスキル」を身につけたんです。
遅いと言われるのが嫌すぎて、夏休みの宿題を7月中に終わらせるくらいスピーディーになりました。
……生活面では相変わらずカメだったので、家では母から相変わらず怒られてましたが。
こうして正解パターンが確立したので、あとはこれを他にも展開して続けていくだけでした。
「常に成長する」
これができれば、
いらない子扱いされない。
バカにされない。
学校でもうまくいく。
これで生きていける。
「成長することに価値がある」
逆に言えば、「成長しない私に価値はない」
知らないうちに、そんなラベルを貼っていました。
ノリじゃなくてボンドで貼ったので、なかなか剥がれません。
成果を出せない自分はバツ。
人から認められない自分はバツ。
カメのように鈍臭い自分はバツ。
ウサギでいるために必要な、自分を罰するマイルールが知らないうちにどんどん増えていきました。
「こうしていれば怒られないし、人から必要とされて評価される」という鉄板ルート。
無意識に生き方として染み付いてしまったので、社会人になってもそのルールは変わりませんでした。
でもやっぱり、それは本当に私が生きたい生き方ではなかったんだと思います。
だから、どこかで無理がきていました。
ルールに縛られた自分が評価されても、それは「作り上げた自分」が評価されているだけなので、なんとなく息苦しかったんですよね。
何度も自分と対話して、今まで自分を守るために身につけた殻を、今度はひとつひとつ剥がしていきました。
「こうじゃなくてもいい」と許可を出して、でも心の奥深くの許可を出せなかったところが、最後に残ってしまった。
その最後に残ったのが、「成長しない私に価値はない」という思い込みでした。
自分の内面が外の世界をつくる。
知識としては知っていました。
でも、「成長しない私に価値はない」という思い込みが、私の現実をつくっていたことに、うつになるまで気づけませんでした。
努力して死にものぐるいで働いて、価値を出して評価を得て、成長して成長して……。
それで得られたものはあったけど、幸せではなかった。
その生き方の根っこにあったのが、「成長しない私に価値はない」だったからです。
私が私のままで価値がある、と口では言っていても、心から信じられていませんでした。
私の価値を決めていたのは私自身です。
「カメなので努力しないと、生きてる価値がありません」
これが正解だと、幼い頃の体験から知らないうちに思い込んでいました。
でも、足の速くないカメに価値はないんでしょうか?
「私はウサギではないので速さでは競いません」と他人の基準の勝負から降りて、カメがカメらしく生きることで、才能は発揮されるはずです。
私は私で生きているだけで価値がある。
そう思ってはいても、子供の頃に刷り込まれた思い込みって、なかなか手放せないんですよね。
仕組みを自覚した今でも、「価値を出せてない自分」に出会うと「もっとがんばらなくちゃ!」が不意に顔を覗かせます。
そうやって頑張って生きてきたことで身についたことや体験できたこともあるので、今までの自分を否定するつもりはありません。
他界した母にも、(大人になってから泣きながらキレたこともありましたが…)ひとり親で育ててくれたことに感謝しています。
ありがとうお母さん。
ただ、握りしめてきた古い価値観と生き方はもう終わりにしよう、というタイミングを心と体が教えてくれました。
感情が感じられなくなり、なのに感情に触れると涙が止まらなくなりました。
体は耳の持病が悪化して左耳が聴こえなくなり、咳喘息で咳が止まらなくなりました。
子供の頃の価値観のまま大人になった私は、「カメのままでは価値がない」と思い込んで、ウサギに擬態して走り続けた。
仕事で辛いこともたくさんありました。
でも、今振り返ると一番大きかったのは、私自身が自分をずっと追い込み続けていたから、うつになったんだと思っています。
だから、もう自分を苦しめることはやめようと思いました。
結果的に私は、ウサギの能力を一部手に入れたカメになりました。
でも今はもう、ウサギに擬態するのに疲れたカメです。
戦うウサギたちの世界から少し距離を置いて、のんびり散歩しながら風景を眺めています。
カメだから見える、カメの景色。
私は今、その景色を楽しんで生きる練習をしています。
全く同じ体験はないけれど、同じような体験は人それぞれ持ってるんじゃないかなと思います。
知らないうちに握りしめている価値観、みなさんの手元にもありませんか?
今日はその問いかけとして、この記事を書いてみました。
私の体験を通して、自分自身に想いを馳せる時間にしてもらえたらなと思います。


monaさん
授業中は寝ていても「成績が良ければオールオッケー!」
自分の学生時代そのままで、私も当時の先生に申し訳ない気持ちになりました……。
記事を読みながら、私も以前は「結果を出すことが自分の価値」のような価値観を無意識に握りしめていたなと、改めて気づかされました。
社会人になって、結果は運に左右されることもあると痛感。どれだけ頑張っても結果が出ない日々も経験し、少しずつ価値観が変化してきた気がします。
今は結果がどうであれ、「自分が納得できるプロセスを歩むこと」を大切にしている最中です。
ウサギとカメの新解釈を書いてるか見てください。
すべてはどこを基準にみるか?だからね。
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