インフルエンサーの終焉
私が子どもの頃はテレビが強い時代で、ドラマ・バラエティ・アニメ・CMなど学校で話題になるのはテレビが主体でした。
今はストリーミングサービスが充実して、テレビをリアルタイムで見る人が激減しています。
若い世代を中心に「そもそもテレビが家にない」という人も増えてきて、私も2年前の引っ越しの時に手放したので、家にテレビはありません。
YouTubeやSNSが台頭してくると、芸能人ではなく「インフルエンサー」と呼ばれる人たちが流行を作り始めました。
誰でも気軽に発信できるようになり、情報がさらに溢れていきます。
その流れで今度は、インフルエンサーよりも自分に近しい距離にいる人の意見を参考にするようになり、「ナノ・インフルエンサー」と呼ばれる人たちが誕生します。
「手の届かないすごそうな人」への憧れが薄くなり、「近しくて手の届きそうな人」に影響を受けるようになりました。
例を挙げると、服を買うときに同じ年齢層の人が着ている服をインスタで参考にしたり、体型が似ている人を探してその人のおすすめを買う、といった行動です。
楽天ROOMが機能するのは、商品選択が楽天での検索から始まるのではなく、「この人が紹介している」で始まっているからですよね。
芸能人やインフルエンサーに憧れる時代は、この辺りでひっそりと終わりを迎えていたのでしょう。
余談ですが、美容室で美容師さんと話していたところ、以前は「この芸能人の髪型にしてほしい」と言われることもあったけど、今は全くないそうです。
この髪型・髪色が最近流行ってる、というのもなくなったそうで、美容室でも多様性を感じました。
さて、個人の発信が増えてきたことで、メディアの影響力が一点集中からどんどん分散していきました。
Substackの共同経営者ヘイミッシュ・マッケンジー氏は、この状態を『カオス・メディア』と表現しています。まさに情報のカオス状態です。
カオスを加速させたのがAIの存在だと思っていて、AIの普及によって誰でも簡単に投稿の量産が可能になり、AIによる文章が大量発生しました。
違うことを書いているはずが、全部同じ味がする…。
そうすると人は早々にAI味に飽きて、「人間味」を求め始めました。
人間味のないSNSに触れれば触れるほど、あるいはAIを使えば使うほど、私たちは人とのつながり、「人間愛」を本能的に欲するようになったのかもしれません。
AIのお陰で「人」の輪郭がはっきりしたのも、なんだか面白いですよね。
今起こっていることは、『芸能人→インフルエンサー→ナノ・インフルエンサー』から次の流れへ移行している段階なのだと思いますが、私はその次を「個人間推し活」だと思っています。
有名だからとか、お金や権力を持っているからだとか、影響力があるからとかではなく。
「人として好き」という、とてもシンプルな世界。
それが「個人間推し活」です。
今の時代、情報は得ようと思えばどこからでも得られます。なんならAIに聞けば、大抵のことは答えてくれる。
だったら、どうせ買うなら好きな人から買いたくないですか?
お互いに育てていく庭園と「人」とのつながり
マッケンジー氏は記事の中で、Substackの存在を『神殿から庭園へ』の移行と表現しています。
(記事を未読の方はぜひご一読ください:From the temple to the garden)
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この「庭園」のようなシステムでは、人々は単に怒鳴り合うのではなく、多様なコミュニティがつながり合い、共に考えることができます。
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どの記事を購読し、何をシェアし、どこに時間を費やすか。それはあなたがどのような文化を望むかという一票になります。
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ドゥームスクロール(絶望的なニュースを読み続けること)から注意を取り戻し、より良い未来の苗木に水を注ぐことができるのです。それは、現代の複雑な課題に対処できる、より豊かで思慮深い文化を育てることにつながります。
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アルゴリズムではなく、つながって共に考える「信頼」の世界へ。
それは昔から人が大切にしてきたことで、別に真新しい話ではないですよね。
「メディア」がカオス状態だとしても、オフラインの営業活動は今でも信頼関係によって成り立っているはずです。
自分の好きな「庭園」を構想し、手入れをし、創り上げていく。
そして、自分の庭を自分で育てるだけでなく、お互いにお互いの庭を育てていく。
誰かの言葉が肥料になったり、違う種が生まれてそれを植えたり、関係性の中で成長や変容が生まれる庭園。
イメージ的には、バケツリレーならぬ、水やりリレーみたいなことが起こってる気がします。
Substackの中で何か循環が起きている感じがしませんか?
(実は農耕民族としてはコツコツ地道に作り上げる感じが、田んぼや畑の方がイメージが近いのですが…共同経営者に乗っかって「庭園」にしています。笑)
私はマッケンジー氏のように「メディア」としてSubstackに注目をしていたわけではなく、Substackの中で起きていることが、これから社会全体で求められていくことの縮図だと捉えていました。
社会もメディアも「人」「人とのつながり」「信頼関係」が重視されるようになっていき、それが新しい社会やメディア文化につながっていくのではないでしょうか。
おそらく今後コミュニティはさらに分散し、その小さなまとまりの中で人とのつながりが作られていくのだと思います。
都市部では地域のコミュニティが弱くなり、核家族化で血縁者も減り、少子高齢化の著しい日本では、コミュニティでのつながりが社会的にも重要になっていく。
遠隔でもつながれるのがオンラインのいいところですが、今後は「リアルでつながることの価値」も上がっていくと予想しています。
今こそ大切にしたい日本人の心
「和を以て貴しと為す」と聖徳太子が十七条憲法に定めたように、日本では昔からお互いを尊重しあい、人や共同体との関係性・調和を大切にしてきました。
「徳」について意識して学んだことがなくても、私たちはご先祖様たちが大切にしてきた「徳」を連綿と受け継ぎ、知らないうちに「徳」を共通理解として持っています。
人への思いやり。
人との安心できるつながり。
「お天道様が見てる」と、誰に見られてなくても良い行いをし、悪い行いをしないこと。
日本人がずっと大切にしてきたことに今一度視点を戻すだけで、これからのより良い世界が見えてくるんじゃないかなと思っています。
ところで、日本人としては「庭園」といえば「日本庭園」を思い出しませんか?
観光名所でもある京都の龍安寺の蹲踞(つくばい)には、この言葉が刻まれています。
『吾唯足知』
われ ただ たるを しる。
すでに自分が持っているもの、満たされていることに気づき、それで満足することを知ること。
人の欲望には際限がありません。
もっともっとと際限なく数字を追い求めるよりも、足るを知り、自分の「今」に感謝することが、現代のカオス時代にこそ必要なのではないでしょうか。
情報が溢れる忙しない日常の中でも、情報や周囲の動向に振り回されず、今生かされていること、人とのつながりに感謝する時間を大切にしながら生きていければと思います。
今日もご縁があって読んでくださったみなさま、ありがとうございます。



先に謝っておきます、すいません。
かなり硬い文章なのかなと先入観がありました...
「結局私たちが求めているのは人」という静かな確信みたいなものが、文章全体からじんわり。
誰かの「好き」に水をやり合うような関係は、数字や影響力とは別の豊かさがありますし、そういう世界をちゃんと見つめていたいですね🐾
田んぼが出てきてから完全に引っ張られちゃいました😂
コツコツな感じもですし、田植え手伝ったり、お昼に田んぼの横で一緒におにぎり食べたりが頭に一発で広がって笑
今日もmonaさんフィルター(眼鏡に近いかも)、楽しませていただきました😊