最近、ハートで感じていますか?
AIが出てきたことで、「問いの力」が大切だと最近よく言われています。
みなさんもどこかで見かけたことがあるんじゃないでしょうか?
私はそれを見るたびに、ふわっとした疑問が頭に浮かんでいました。
「問いも大切だけど、観察が必要なのでは?」
その疑問を答えを出さないまま持ち続けていたら、編集者の佐渡島庸平さんの「観察は、問いと仮説の無限ループを生み出すもの」という言葉に出会いました。
人それぞれ意見があると思いますが、今回は佐渡島さんの考え方をお借りして、
「観察=問い+仮説」
として考えてみたいと思います。
観察には何が必要でしょうか?
観察する何らかの「事象」が必要ですよね。
事象は、「体験」とも言い換えられます。
「事象(体験)→観察(問い+仮説)」
こう考えると、そもそもAIには体験がないから観察が成立しないわけです。
体験と言うとなんとなく特別感があるので「事象」としたのですが、言いたいことはシンプルで、
毎日の人としての体験
です。
何かをわざわざ体験しに行く、ということではなく、もちろんそれも良いのですが、私たちは生きている限り常に体験しています。
それが既にAIとの差別化になっていますよね。
AIは自分で体験することも、体験から感じることもできないですから。
そうすると一つの問いが出てきます。
体験して、感じられていますか?
毎日が忙しいと、文字通り心が亡くなっていきます。
生きているから体験はしている。
でも、感じる「余白」がない。
ヘッド(頭)の方に意識がいきすぎると、ハート(心)の方はだんだん怠慢になっていきます。
鈍化すると言えばいいでしょうか。
感じることをサボりだすと、感じるセンサーが稼働しなくなっていき、本当にだんだん何も感じなくなっていくんですね。
だから完全にその状態になる前に、一度自分を振り返ってみることが大切です。
なんか最近忙しくて「感じる」ができてないなぁと感じたら。
一呼吸置いて、余白の時間を取ってみてください。
そうすることで、感じたことから新しい観察が自然に始まっていくと思います。
ちなみに、生きるうえでは、感じることは時にしんどさにもなりえます。
感じすぎて辛くて、何も感じない方が楽だと思ったことはないですか?
私もそういう時期が何度もありました。
感じるのが辛いという状態のあとは、自己防衛として感情のセンサーが鈍くなる可能性があります。
でも、これは感じることの制御が必要だから起こっていることなので、無理に感じようと頑張る必要はありません。
自分の今の状態を客観的に見たうえで 、感じる・感じないの選択をしてくださいね。
好奇心と余白
体験して、感じて、観察して、問いと仮説をループする。
このベースにあるのが、私は好奇心だと考えています。
知らないことやわからないことを、「わかりたい」と思うのが好奇心です。
例えば、今日何か体験があって、「私は何を感じたんだろう?」と思うのも好奇心だし、「行ったことのないお店に行ってみよう」と思うのも好奇心ですよね。
この好奇心も、余白がないと湧いてこない感情ではないでしょうか。
目の前のことでいっぱいいっぱいの時って、道端に咲く小さな花には目が向かないと思うんですね。
私も仕事で多忙を極めていた時は、季節の感覚が全くありませんでした。
桜はいつの間にか散っていて、花火の音を遠くで聞いたと思ったら、もう雪が降っているような。
そんな速さで、季節が通り過ぎていきました。
季節感を感じる暇もないほど、目先の仕事をこなすことで精一杯だったんです。
自分が余白のある状態とない状態では、同じ風景を見たとしても、アンテナに引っかかるものが全く違ってきます。
あなたは今、余白がありますか?
まずはその問いを持って、自分を観察してみるところから始めてみるのも良いかもしれません。
ここまでをまとめると、こんなイメージになりました。
事象(体験) ──> 観察(問い+仮説)
▲ ベース②:好奇心
▲ ベース①:余白
これをもとにして、「問い」について考えたいと思います。
答え保留棚をつくってみよう
前回の記事は不安がテーマでしたが、最後に「曖昧なものを曖昧なまま、ふわっと持っておく力」が大切だと書きました。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念がこれに該当しますが、味気ないのでこの記事ではあえてそう呼ばないことにします。
さて、問いを持つうえでもこの「曖昧なものを曖昧なまま、ふわっと持っておく力」が、とても大切になってきます。
何故なら、問いに対する答えがすぐに見つかるとは限らないからです。
例えばネットで記事を読んでいて、それが権威のある人が書いたものだと、「その意見が正しい」で納得して終わってしまいがちだと思うんですね。
でも実は、「そうなんだけど、そうじゃない」って思うこと、ありませんか?
「なんか自分が感じてること、考えてることとちょっと違うなぁ」という感覚です。
大枠同じなんだけど、著者の表現の仕方なのか、光の当て方の角度なのか……なんかわからないけど、自分の感覚とはちょっとした差異がある。
この「ちょっと違う」にもし出会ったら、好奇心を持って自分に問いかけてみてください。
何が違うと感じたんだろう?
何に引っかかってるんだろう?
そして、これかな?あれかな?と仮説を立ててみる。
その記事を読み終わるまでに答えが出たらラッキーです。
でも、結局読み終わっても答えが出ない時もありますよね。
そういう時は「まあいっか、忘れよう!」と終わらせるのではなく、答えを保留したまま問いを持ち続けておくことをおすすめします。
なぜならその違和感こそが、「あなたらしさ」であり、「人間味」だからです。
とは言え、すぐに答えが出ないのは気持ち悪いかもしれません。
そこで登場するのが、「曖昧なものを曖昧なまま、ふわっと持っておく力」です。
この力があれば、答え保留棚にたくさんの問いを置いておくことができます。
すぐに白黒をつけず、 答えを保留して問いを持ち続けているとどうなるか?
ふとした時に、答えに出会います。
それは、別の本を読んでる時かもしれない。
お散歩してる時かもしれない。
動画を見ている時かもしれない。
お風呂に入ってる時かもしれない。
いつどこで何がきっかけになるかは、わかりません。
だから答えを焦らず、曖昧なものを曖昧なまま、ふわっと持っておいてみてください。
タイミングが来た時に「あ、そういうことか!」という気づきや発見がくるはずです。
ここでもう一度、こちらをご覧ください。
事象(体験) ──> 観察(問い+仮説)
▲ ベース②:好奇心
▲ ベース①:余白
AIは瞬時に答えを出すことができます。
でも、体験することも、感じることも、そこから問いを持つことも、問いを保留して持ち続けることもできません。
人が人らしく人生を体験し、感じること自体に、とても価値があると私は思っています。
そのうえで人生を深めてくれるのが、観察、つまり問いと仮説ではないでしょうか。
みなさんは最近、どんな体験があって、何を感じて、どんな問いを持ちましたか?
まだ答えが出ていない問いでも大丈夫なので、良かったらコメントで教えてくださいね。


「答え保留棚」という言葉が印象に残りました。
すぐに答えを出せない問いを、未熟さではなく余白として持っておく。そこに観察の始まりがあるのだと感じました。
AIは答えを出すのは得意ですが、「なんか少し違う」をしばらく抱えて歩くことはできませんよね。その違和感こそが人間味、という部分に特に惹かれました。
私も最近、問いにまで締切をつけがちなので、少し棚を増設しようと思います。
個別に重要性は知っていた、問い、観察、好奇心、ネガティヴ・ケイパビリティ。それらを1つの「問い」と「仮説」に繋ぎ合わせた視点に、まさにmonaさんの深い「観察力」が表れているなと感銘を受けました。
特に、余白がないと好奇心が湧いてこないというのは、私も日々感じており、共感しました。
ちなみに、私が最近感じた問いは、ジムで泳いでいるときにふと浮かんだ「なんで音楽を聴いてると楽しい気分になるのかな」というものです。特に答えもないですし、脈絡もなく浮かんできたのですが、そうした問いが浮かぶ時間が、自分にとっての余白だったのかなと気付かされました。